アメリカ「留学」50年
インターンからALS専門家へ
三本 博
千鶴子、賢、淳へ
目次
1 医学部へ
2 医学と外国語 ―失敗と成功―
3 基礎医学から臨床医学へ
1 激動の学生運動 ― 医学生熱病の2年間
2 東邦大学病院第二内科入局
3 アメリカへ留学か?
4 内科インターンという冒険
1 ユーホール・チャレンジ
2 素晴らしかったケース大学での神経科レジデント
3 クリーブランド・クリニックにて ︱ 誰にもできない神経病理フェロー
4 試験、試験、また試験!
1 「マウス神経科専門医」への道
2 マウスの病気と人間の病気(筋萎縮性側策硬化症、ALS)
3 日本かアメリカか?
1 クリーブランド・コネクション
2 マウス軸索輸送の専門家
3 ケース大学の筋神経部門
4 ケース大学からライバル病院へ
第7章 クリーブランド・クリニックの神経科スタッフ(1983年~1999年)
1 クリーブランド・クリニック神経科
2 ALSとはどんな病気か?
3 念願の多職種ALSクリニック
4 ALSことなら何でもやってみよう!
5 ALS以外の研究
6 ウォブラーマウスでの臨床治験の薬剤開発
7 神経細胞栄養因子
8 日本におけるALS研究
9 仕事と英語
10 クリニックでの生活
11 新しいチャレンジが必要か?
1 ニューヨーク♪ ニューヨーク♪
2 コロンビア大学病院
3 ALSの新しい研究
4 新しい国際カンファランス
5 神経科内での生存競争
6 これから
1 ALSの治験
2 今後の研究
3 ALS患者の治療
4 患者たちのALSへの挑戦
三本 博(みつもと ひろし)
1944 年札幌生まれ、東京育ち。1968 年東邦大学医学部卒業。
1972 年渡米、ボルティモア市立病院/ ジョンズ・ホプキンス大学でインターン。その後、神経科レジデント、神経病理フェロー、ALS 研究フェローなどをへて、クリーブランド・クリニックのALSセンター長。1999 年にコロンビア大学医学部ウェスリー・J・ハウ神経科教授、およびALS センター長に就任。ニューヨーク在住。